播州のお祭り

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たつの市周辺・とんど焼き

 全国各地で行われている「とんど焼き」は、ここ西播磨地方でも、1月上旬〜中旬頃(1月15日前後の日、1月15日前後の週末の早朝〜夕方)、各地区において行われています。「とんど」の形は、隣の地区でも形が異なったり、飾り付けに凝っていたりしている地区もあり、改めて写真を撮っていくと一つとして同じ物がないのに驚きました。「とんど」が製作されて場所は、地区の少し離れた田んぼに多いのと、地区内の中でも、いくつかの地図には記されない集落に別れている場合があるため、撮影地区名が違うかもしれません。間違っていましたらすいません。

☆ たつの市

☆ 姫路市



たつの市室津・小五月祭り

賀茂神社での「棹の歌」(県重要無形民俗文化財)奉納  毎年4月の春休みの終わった最初の日曜日に、高校生や小中学生が衣装を着て、この祭りが行われます。
 この祭りは昔(平安中期のころ)、室君という遊女がいたころ、神前で歌舞を奏して神意を慰めたのが始まりとされ、現在に至っています。このときに歌われている「棹の歌」(県重要無形民俗文化財)は、宮尾太夫という人の作といわれ、現在は、歌だけが引き継がれています。
 侍烏帽子を頭にのせ、裃を着用した女性が6人2列に並び、鼓をうち、そのほかに太鼓が1人いてお囃子を担当し、話し合いで「室の君」に選ばれた女子高生が、頭に金の冠、水干と呼ばれる緑の衣裳、金の御弊を持ち「棹の歌」の音頭をとり、この8人が前に並びます。そのあとに、白の千早を着用し、緋の袴をはき、頭に金色の小さい烏帽子をのせた小学生が「棹の歌」を唱和する。
 「棹の歌」は、時代の移るにつれて、古来の形が崩れはじめていましたが、近年に元歌の譜面が見つかり明治初期まで伝えられていた難解な楽譜が解読され平安時代の曲が復元されました。「棹の歌」は、謡いものの原型をとどめた音楽史上貴重な曲とされています。



たつの市新舞子 みつ海まつり・サンセットフェスティバル

よさこい踊り  毎年7月の第3日曜日に、新舞子浜で開催されます。
 昼のイベントとしては、砂浜の特設ステージで、よさこい踊り、播州音頭、和太鼓演奏などがあります。また、駐車場では地域の人が模擬店を出店し、地元の特産品を販売したりします。夜になると、歌謡コンサート、地元の子供たちによる火揚げ、その後に、催される花火スターマイン、干潟の水面に向かって流れる全長500mのナイヤガラの滝は、関西でも有数の長さを誇り、壮大かつ干潮時に干潟に映る花火と相まって幻想的です。



たつの市室津・夏越祭

賀茂神社境内での練り合わせ  毎年7月最終の土・日曜日に行われます。
 賀茂神社の春の小五月祭がやさしい女の祭りならば、住吉神社の夏越祭は、昔の祭りの原型をとどめた素朴で、力強い男の祭です。宝永年間、疫病が流行し、人々は太鼓を激しく叩いて悪疫を祓ったのが起源であるといわれています。
 土曜日の宵宮では、数珠つなぎにした十数台の太鼓を激しく乱打しながら町中をめぐり、夜中に賀茂神社の境内で舞った獅子頭の争奪戦をします。日曜日の本宮では、丸太を組んだ練りもんの上にそれぞれ酒樽、米俵、張り子の魚を乗せて神社へ奉納し、悪疫退散の御礼をします。夜になると、提灯を灯した十隻の祭礼船が一列になって湾内をめぐり、海上花火の上がる中、御座船は、湾口から沖へ出ていく。舳先を恵方へ向け、室津の人々が体を清めた人形を海上へ流し、この1年の無病息災を祈ります。



たつの市室津・八朔のひな祭り

みなと茶屋の玄関に飾られたお雛様のマスコット  毎年8月下旬に室津地区全域で行われます。各所に観光マップが置かれ、それを見ながら玄関の軒先に八朔のひな祭りのあんどんを吊しているお宅を見つけて、玄関の戸を開けるとお雛様が飾り付けされています。普通の民家なので、失礼のないようにしましょう。
 室津では、八月にひな祭りがあります。その由来は、永禄9年(1566)1月11日の室山城の落城という悲しい出来事まで遡ります。それは、「室津追考記」によると、室山城主・浦上政宗の弟、宗景の結婚式の夜に、かねてより対立関係にあった龍野城主・赤松政秀の急襲にあい、室山城は落城。討死した宗景に続いて、小長刀を持って果敢に立ち向かった花嫁も遂には、自害した。武士の子女たる見事な振る舞いが感動を呼び、その死を悼むとともに、ひな祭りを3月3日ではなく、半年遅れの旧暦8月1日(八朔)に行うようになったそうです。
 八朔(はっさく)とは旧暦の8月1日のことで、古くから重要な節目でした。八朔節供とかタノミの節供などといわれ、さまざまな行事が行われました。瀬戸内海地域では、米の粉で人形、動物、野菜などの形をつくる風習がありました。ところによっては、これらの人形を八朔雛と呼び、あたかも3月雛のように催し、子供の成長を願いました。



姫路市白浜町・灘のけんか祭り

矢倉畑 松原と木場の2台練り  毎年10月14・15日に行われる松原神社の秋季例祭が日本三大けんか祭りのひとつとも言われている「灘のけんか祭り」です。この祭りに参加するために、全国から故郷に戻ってきます。
 14日の宵宮は、村練り後に7台の屋台が順番に宮入をし、練り場、境内で練り合わせがあります。
 15日の本宮は、「露払い」から始まります。午前5時頃に松原地区の獅子壇尻が松原神社で清めの儀の後、獅子壇尻は、お旅山まで道を清めながら向かいます。午前6時頃に白浜海岸で、「潮かき」が行われます。神輿練りを務める氏子たちと神輿幟「一の丸」「二の丸」「三の丸」が海に駆け込み体を清めます。 本宮の宮入は、練り番以外の6台の屋台が宮入すると、練り番地区の宮入後、3台の神輿が、境内・楼門前でぶつけ合いが行われ、お旅山渡御が始まります。お旅山練り場(矢倉畑)に松原の獅子壇尻がまず入場してきます。差し上げられた壇尻を地面に叩きつけられても太鼓を止まることがなく、「日本の音風景百選」に選ばれています。 その後、3台の神輿のぶつけ合いがここでも、盛大に行われます。神輿に続いて6台の屋台が順に入場して、時には3台、4台の屋台練り合わせられ、そのたびに観衆から大きな歓声、拍手が起こります。  



姫路市網干区・ちょうちん祭

宵宮の楼門前 ちょうちん練り前の合わせ  毎年10月21・22日に行われる魚吹八幡神社(津の宮)の秋季例祭は、楼門前で行われるちょうちんの練り合わせが全国的に知られている「ちょうちん祭」のいわれです。
   



たつの市御津町・富嶋神社の秋祭り

黒崎地区の法被(はっぴ) 刺繍は特注です。  近年は第3の土・日曜日に行われるようになりました。また、近くにある網干の魚吹(うすき)八幡神社(通称 津の宮)のちょうちん割りが有名ですが、ここ富嶋神社でも、宵宮に行われます。「くつろぎの宿 田中屋」 の地区は、黒崎地区になります。そのため黒崎地区主体の説明になっています。
 土曜日の宵宮は、各地区の屋台は、朝から村練りをします。黒崎地区は、新舞子の練り場で練った後、昼食の休憩があり若中(練り子の若衆)は、この時間を使い夜にあるちょうちん割りさながらの練り合わせをします。村練りが終わり、午後8時頃からちょうちん割りが神社境内の練り場で行われます。神社に行くまでは、若中が御旅用提灯を持ち、伊勢音頭を唄いながら道中を連なって歩きます。ちょうちん割りの練り時間は、15分で中央に大提灯、大あんどん、連提灯などを配し、若中が持っている御旅用提灯で練りながら中央の大提灯などを壊していきます。時には激しくぶつけ合い、時には円陣になり竹を地面に突きながら伊勢音頭を唄い気持ちを高揚させていきます。ちょうちん割りが終わると、輪番の地区が神事を受け、2台の神輿が境内を練った後、御旅所に向かいます。
 日曜日の本宮は、まず御旅所に向かいます。順番は、西釜屋のだんじり、黒崎・苅屋の子供屋台、午前10時頃に輪番で順番が変わりますが、黒崎・東釜屋の屋台での練り合わせ、苅屋・浜田南・浜田西の屋台での練り合わせがあります。また浜田2台、時には苅屋も入り上下に屋台を激しく動かす松原型屋台の練り方が見られる時もあります。通常は、魚吹型屋台のため、「チョーサ」などの地面近くまで下ろし、両手で差し上げ、その静止した美しさを見せる練り方をします。御旅所での神事、西釜屋地区の獅子舞が終わると、富嶋神社に向けて出発します。宮入りでの見所は、鳥居のくぐり方、狭い境内での練り合わせが見物です。ここでも、神事、西釜屋地区の獅子舞があります。夜の宮出時には、電飾に飾られた屋台の勇壮な練り合わせが見物です。
 播州秋祭りの中では、小さい方になると思いますが、小さいなりの内容の濃い祭りです。



姫路市・播磨国総社の三ッ山大祭

三ッ山  一ツ山大祭の間の臨時祭として、20年に1度催されるのが、三ツ山大祭です。平成25年は、期間中 65万人以上の参拝者が訪れました。また、境内において、奉納土俵入りがあり、横綱 白鵬 がお越しになりました。関係者のみの境内で、土俵入りの観覧でき、一般は観覧者は、境内から、閉め出され参道の往復のみ観覧することが出来ました。三ツ山は、ライトアップされて幻想的な雰囲気になっていました。
   



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